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ORIGINAL HUMAN HORROR

毎週土曜日、父を借りています。

父の言葉には、先に決まった台詞があった。

毎週土曜日、父を借りています。の表紙

実家に届いた礼状には「毎週土曜日、お父さんをお借りしています」とあった。別の人の父親役をしていた父。その仕事を知った娘は、自分の家でも会話があらかじめ用意されていたことに気づく。家族の形ではなく、本人を抜きにその選択を決める怖さを描く朗読。

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朗読:VOICEVOX:冥鳴ひまり / 約12分

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動画公開:10/17 18:00(日本時間)

家族による長期間の隠し事、金銭を介した心理的な支配を扱います。暴力や傷の直接描写はありません。

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土曜日の便箋

「毎週土曜日、お父さんをお借りしています」。便箋の一行目を読んで、私は父が地域の手伝いでもしているのだと思った。母は私の手から封筒を取り、「舞台の知り合いよ」と言った。それから、中身を確かめずに台所の引き出しへしまった。

父は昔から、土曜日も仕事をしていた。私が小学生の頃は地方への出張が多く、家に帰るのは週末だけだった。今は会社を辞め、昔の取引先を手伝っている、と聞いていた。定年になっても忙しい人なのだと、私は思っていた。

私は三十一歳で、婚約者の修司と暮らしている。月に一度、実家へ夕食を食べに行く。必ず土曜日、午後六時から八時まで。父の都合に合わせた時間だと母は言い、私も、平日の仕事があるので都合がよかった。

その日は、両家の顔合わせの日取りを相談しに来ていた。父は六時ちょうどに帰ってきて、洗面所へ行き、いつもの紺色のカーディガンを着て食卓に座った。私は、さっきの手紙について尋ねた。父は箸を置いて、母の方を見た。

「知り合いの所で、話し相手をしてるんだよ」。父はそう答えた。母が、詳しいことは相手の方もあるし、と続けたので、私は質問をやめた。その時、父の手首に、細い紙の輪が残っていた。名前の書かれた、催し物の名札だった。

帰り際、母は私たちを玄関に並ばせて、写真を撮った。毎月の決まりだった。父が私の肩に手を置き、修司が少し膝を曲げる。母は、もう少し楽しそうに、と言った。撮り直してから、私たちは家を出た。

借りられた父親

次の土曜日、母から、父の薬の袋を届けてほしいと電話が来た。私はたまたま実家の近くにいた。母は離れた歯科へ出かけていて戻れないという。急ぐ薬ではないが、翌日から父が泊まりで出るので、渡しておきたいらしかった。

袋を受け取りに寄ると、父の靴が玄関になかった。住所はすぐ送られてきた。「部屋まで行かず、着いたらお父さんに電話して」。母の指示は細かかった。私は薬の袋を鞄に入れ、指定された小さな貸し会議室へ向かった。

入口の階段で電話をかけようとした時、扉が開いた。父と、私と同じくらいの女性が出てきた。父はいつものカーディガンを着ていた。女性は目が赤く、けれど笑っていた。「今日は、最後まで言えました」と、父に頭を下げた。

父は私を見て、目に見えて困った顔をした。女性はすぐに気づいたらしく、「娘さんですか。お手紙、変な書き方をしてしまって」と言った。手紙の主は、紗季という人だった。母親ではなく、彼女自身が書いたものだった。

紗季は、自分の父親と話す練習をしている、と説明した。転職を反対されて、実家へ帰るたびに何も言えなくなる。芝居の講座で知り合った父に頼み、週に一度、相手役をしてもらっているという。父親の代わりに暮らしているわけではなかった。

「途中で遮らない父親を、一度だけ借りたかったんです」。紗季はそう言った。父は照れたように、もう練習は終わりでいいだろう、と答えた。彼女の鞄から、折り目のついた台本が見えた。表紙に、話す人、聞く人、と書かれていた。

私はほっとした。同時に、少し羨ましかった。私も、就職先を変える時、両親に話せなかったことがある。母が心配して、父が、心配をかけない選び方もあるだろう、と言った。それで私は、決まっていた面接を一つ断った。

別の部屋の鍵

紗季が帰った後、私は父に薬を渡した。父は袋を受け取ると、時計を見た。「今日は家で食べないのか」。今日は約束していない、と答えると、そうだったな、と言った。月に一度なのに、まるで予定表を確かめるような口ぶりだった。

会議室には、まだ二脚の椅子が向かい合わせに置かれていた。机の上の台本に「言い直させない」「結論を代わりに決めない」と鉛筆で書いてある。紗季が自分で決めた約束だという。相手役の父は、その約束を守っていた。

私は冗談のつもりで言った。「家でも、その台本でやってよ」。父は笑わなかった。紙を二つ折りにして鞄へしまい、「家では、お母さんの段取りがあるから」と答えた。段取り。食事の用意ではなく、会話にも、その言葉を使った。

帰り道、父の鞄から合鍵が落ちた。実家のものではなかった。私が拾うと、父は、自分の部屋の鍵だ、と言った。どこの部屋か尋ねたら、駅の反対側だという。仕事場なの、と重ねると、父はしばらく答えなかった。

「お母さんから聞いてないか」。その言葉で、私の知らない話が長い間、私以外には知られていたのだと分かった。父は歩道の端へ寄り、私の顔を見ずに言った。「ずっと、別々に住んでるんだよ」。

離れて暮らし始めたのは、私が八歳の時だった。地方への長い出張など、ほとんどなかった。父は離婚の話も、私に伝わっていると思っていた。高校を卒業した頃に話した、と母に聞いていたのだという。

私は、そんな大事なことをなぜ自分で確かめなかったのかと聞いた。父は、私が普通に父さんと呼んでいたから、と答えた。離婚しても父親は父親なのに。その区別まで、父は母に預けたままにしていた。

会話の予定

家へ戻ると、母は驚かなかった。「言おうと思ってたけど、結婚の前に余計な心配をさせたくなくて」。私は、八歳から今まで、心配させない方がいい時期がずっと続いていたのかと聞いた。母は答えず、お茶を淹れた。

父が私に会いに来ること自体は、当然のことだった。ただ、ある時から、母が父の交通費と食費を渡し、決めた時間に、決めた話をしてもらうようになった。私が家を出てからも、それは続いていた。

母は「お父さんは放っておくと、何も話さないから」と説明した。机に出された手帳には、私の誕生日、帰省日、転職の報告をした日が記されていた。それぞれの日付に、二、三行の予定が添えられていた。

「仕事は大変でも続ける方向で」「一人暮らしは急がせない」「交際相手の話は本人から出るまで待つ」。私が自分から相談したと思っていた夜に、着地点が先に決まっていた。父が考えてくれた言葉は、母が鉛筆で用意していた。

金額の欄もあった。父がまとまった収入を失った時期から、額が増えていた。交通費という説明では足りなかった。「断れなかったの」と私が聞くと、母は「断ってもいいって、いつも言ってる」と答えた。

けれど欄外には「余計な話をしない」「早退の場合は半額」と書かれていた。ある年の八月には、金額に線が引かれ、「県外への就職を勧めた」とあった。あの年、父が私に、遠くへ行ってもいいと言ったことを、私は覚えていた。

翌月、父はその言葉を取り消した。やっぱり、お母さんが一人になるのは心配だ、と。その時の私には、自分のために考え直してくれたように聞こえた。手帳の日付を指で押さえても、紙はただの紙で、何も説明してくれなかった。

母は、私に寂しい思いをさせたくなかったと言った。父がいない運動会も、家族の話を聞かれる授業も、全部心配だった、と。私は、心配してくれたことまで否定できなかった。でも、誰の心配を減らすために続けてきたのかは、もう聞けなかった。

客用のカップ

父にもう一度会った。今度は駅の反対側の、小さな部屋だった。玄関に、見覚えのある靴が一足だけあった。父は湯を沸かし、客用のカップがないと言った。私がここへ来る可能性を、二十三年間、考えないようにしてきた部屋だった。

父は、最初は私を安心させるつもりだったと言った。家庭のことを話して、学校に行けなくなったら困る。少し大きくなってから話せばいい。そのうち母が、父には別の暮らしがあると説明したものと思い込むようになった。

母の段取り通りに話していたことは、否定しなかった。お金が必要だったし、私に会う口実を失いたくなかった、と言った。母の許可がなければ私に会えない年齢は、とうに過ぎている。そのことを言うと、父は、そうだな、とだけ答えた。

棚には私の写真があった。小学校の遠足、成人式、就職祝い。母が撮った家族写真も並んでいた。私は、全部嘘だったのかと聞きたくなった。けれど父が運動会で走ったことも、熱を出した夜に来てくれたことも、なかったことにはならない。

一枚だけ、母の撮影ではない写真があった。父と二人で釣りへ行った日の、知らない人に撮ってもらった写真だった。魚は釣れていない。二人とも帽子が曲がっていた。私は、その日の帰りの車でも、父が母に細かく報告していたことを思い出した。

だから余計に、何が本当の言葉だったのか分からなかった。「この前、修司さんはいい人だって言ったのは?」。父は、そう思ったから言った、と答えた。「私が仕事を辞めるなって言ったのは?」。今度は、すぐには答えなかった。

私は紗季の台本のことを聞いた。父は、ああいう仕事なら、自分にもまだできることがあると思った、と言った。人の話を最後まで聞くこと。結論を決めないこと。できるのに、家ではしなかった。その事実だけが、はっきり残った。

帰る時、父は次の土曜日をどうするか尋ねた。私は、母に聞かず、自分で電話してほしい、と言った。少し間を置いて、父は頷いた。その短い約束にすら、私は、代金が発生していないか考えてしまった。

決められた場所

私は修司に、両親のことを話した。彼は驚き、少し迷ってから、自分も母にお金を出してもらっていると言った。新居の初期費用の一部だった。二人への祝いだから、私には良い部屋が決まってから言えばいい、と言われたという。

お金を受け取る条件があったわけではない、と修司は言った。ただ、その後で母から、私が転勤に前向きな話をしたら、今は落ち着いた方がいいと言ってほしい、と頼まれた。彼は、先月、本当にそう言っていた。

あの夜、修司は二人の暮らしのために考えたのだと、私は受け取っていた。私は仕事の話をしていたのに、返ってきたのは、私のいないところで誰かが選んだ答えだった。父の言葉に戸惑った時と同じ場所が、胸の中で冷たくなった。

修司は気を利かせたつもりだった、と謝った。私は、自分の婚約者まで役者だったとは思わない。それでも、母から見た時、お金を渡すことと、私の周りの人に台詞を渡すことが、同じ引き出しに入っているのだと分かった。

私たちは受け取った分を返すことにした。顔合わせも、少し延期した。母は、父のことは二人で決めたことだと言い、修司のことは若い二人を応援しただけだと言った。どちらにも、私を騙すつもりはなかった、と続けた。

その後、父から直接電話があった。平日の、仕事が終わる頃だった。用事は特にない、と言った。私は少し黙ってから、今日は何を食べたのか聞いた。焼きそば、と答えた。いい父親の答えでも、悪い父親の答えでもなかった。

母の家に荷物を取りに行った日、食卓に来月の予定表が置かれていた。土曜日の午後六時から八時まで、私と修司の名前があった。横に小さく、「結婚の話は明るく。父の件には触れない」と書かれていた。

その紙の上では、私はもう、全部を許した娘になっていた。母は台所から、写真だけ撮っていかない、と呼んだ。父は来ていない。修司もいない。それでも私は、一瞬だけ、決められた場所に立ちそうになった。